2024年10月17日(木)
グーグルマップで見つけた史跡
井戸の跡であるが
八百やの娘お七
恋こがれた寺小姓吉三会いたさに自宅に放火
その罪で、鈴ケ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後、僧侶となり
名を西運と改め明王院 に入り、
目黒不動 と浅草観音 の間、
往復十里の道を念仏を唱えつつ
隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院は現在の目黒雅叙園 エントランス付近から
庭園にかけ明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で
西運が念仏行に出かける前に
お七の菩提を念じながら、
水垢離をとったことから
「お七の井戸」
と言い伝えられている。
目黒雅叙園入り口付近