2021-03-14
奈良公園の花「こぶし」or「もくれん」「うめ」
奈良公園と興福寺の鹿さんたち 小鹿がたくさんいていつも通りで安堵
奈良国立博物館「お水取り」特別陳列
奈良国立博物館 仏像館「金剛力士立像(金峯山寺)」特別公開
14, March, 2021
奈良国立博物館の仏像館では
「金剛力士立像」
が特別公開されていました
奈良県吉野にある金峯山寺の仁王門(国宝)
に安置される金剛力士像
像内の銘文から南北朝時代の1338年から
1年かけて造られたことがわかりました
金剛力士像をいえば運慶・快慶作
東大寺南大門の金剛力士像(1203年)
が有名ですが、それに次ぐ大作として
高い価値があるものです
約5メートルと見上げる高さの大迫力
足の甲には血管まで表現されていました
仏像館には他にもたくさんの仏像が
展示されています
重要文化財の文殊菩薩騎獅像
奈良公園にある不思議な木「ムクロジ」
14, March, 2021
奈良公園に不思議な木があります
木の中から竹が生えて伸びています
「ムクロジ」という木で
西日本に自生する種類で
果皮に大量のサポニンが含まれ、
かつて石鹸として
利用されていました。
種子はお正月の羽根つきの球や
数珠に使われたそうです
奈良・興福寺の東金堂 本尊の薬師如来など国宝がたくさん
奈良の興福寺
奈良といえば、東大時、法隆寺、薬師寺、唐招提寺
など有名なお寺がたくさんありますが
奈良駅に一番近くにあるこの大きなお寺
最近まで知りませんでした
薬師寺と京都の清水寺、そしてこの
興福寺は檀家さんがいないのだそうです
なので、拝観料や御朱印長などで維持してます
本堂は左の新しい建物で
奈良・高速餅つきの「中谷堂」のよもぎ餅
奈良・ならまちの「PAO」の黒米野菜ポークカツカレー コーヒーも美味い!!
ジャンル:カフェ
アクセス:近鉄奈良線近鉄奈良駅2番口 徒歩5分
住所:〒630-8337 奈良県奈良市脇戸町12-1(地図)
周辺のお店のネット予約:
・ブレッドバイキング 奈良ファミリー店のコース一覧
・Cafe&Dining Tigreのコース一覧
・テーブルオーダーバイキング 焼肉ホルモン 王道 押熊のコース一覧
周辺のお店:ぐるなび 奈良市×カフェ
情報掲載日:2021年3月14日
2020-11-21
奈良「唐招提寺」の金堂に国宝が並び、紅葉も見頃です 千手観音立像は見事!
2020年11月21日
京都はGotoキャンペーンで観光客が多いので、奈良に来ました。決して奈良を侮っているわけではなく、紅葉の名所は京都に集中しているので奈良にしたのと、奈良も奈良公園は鹿と一緒に紅葉の写真を撮ろうと皆思うのではないかと予測し、それをずらして「唐招提寺」にしました。去年行ったときは薬師寺の後で夕方になってしまい時間もなく、じっくり見ることができなかったのも今回来たかった理由です。前回時間がない中でもとても感動したのが「千手観音菩薩像」です。今回は晴天で紅葉も綺麗な中、ゆっくり見ることができました!
この写真の金堂の中に国宝の像が勢ぞろいしています。
国宝 金堂
南大門で拝観料1000円を払って入場するとその正面に見えるのが金堂です。8世紀後半(創建時)の姿を残す建築物です。堂内は、中央に本尊・盧舎那仏坐像(国宝)、右に薬師如来立像(国宝)、左に千手観音立像(国宝)が並んで天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。
国宝 廬舎那仏(るしゃなぶつ)坐像
高さは3メートルを超え、光背の高さは5.15mにもおよぶ巨像です。奈良時代に盛んに用いられた脱活乾漆造でその造形は雄大さとやわらかさを併せ持ち、唐代の仏像に通じる唐招提寺のご本尊にふさわしい仏像です。また、背後の光背の化仏の数は、862体ありますが、本来は1000体であったといわれています。前回訪れた時は千手観音に見とれてあまり覚えていませんでしたが、今回は心行くまで見入ってしましました。
国宝 薬師如来立像
盧舎那仏坐像の向かって右側に安置されています。昭和47年の修理の際に左手掌から3枚の古銭が見つかり、その年代からも平安初期の完成であることが明らかになっています。伏目がちな表情などから全体的に重厚な印象。
国宝 千手観音立像
盧舎那仏坐像の向かって左側に安置される高さ5.36mの立像です。この千手観音を見るために来たといっても過言ではありません。本当に千本の手を持つ千手観音像は少ないと聞きます。数少ない千手観音様なのです。実際は大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕があるのですが、本来は1000本あったと考えられています。
このほか、持国天、増長天、広目天、多聞天、梵天、帝釈天、6つの立像が国宝として安置されています。なんて贅沢なお寺なんでしょう。
唐招提寺について
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年に修行の道場を開きました。それは「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでしたが、金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。現在、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える貴重な伽藍となっています。
国宝 講堂
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像(重要文化財)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。
境内の北東の奥まった静かな場所に鑑真和上の墓所があります。
入口から墓所に向かうアプローチは高い杉の木と色づいた紅葉が混ざり、太陽の光がやさしく降り注ぐとても神秘的な空間になっています。その先、墓所の横には池がありひっそりとした中に鳥のさえずりや草花がやさしく墓所を見守っているようでした。
鑑真和上は唐の揚州に生まれ、14歳で出家、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷に戻り、江南第一の大師と称されました。742年に遣唐使からの招請を受け渡日を決意したものの12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失いながらも、753年6回目にして遂に日本に上陸します。以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。