2020-11-07

京都・大原(第82代)後鳥羽天皇(第84代)順徳天皇大原陵 北条義時追討令(承久の乱)

2020年11月7日(土)

大原の三千院
皇室の方が出家して
住職を務める門跡である。

古くより皇室と関わりのある
格式高い寺院とされている。

そんな三千院の近くに
縁のある皇室の墓陵があった。


<後鳥羽天皇>
第82代の天皇(在位1183~98)。
高倉天皇の第4皇子。
源平争乱の始まった年に誕生。
1183年安徳(あんとく)天皇が平氏に擁せられて
都落ちして4歳で践祚(せんそ)

当時は後白河法皇が朝廷の実権を掌握
やがて平氏が倒れて鎌倉幕府が成立したのちも
しばらくは後白河法皇による院政が続いた。

1192年法皇が没するに及んで、
後鳥羽天皇の親政となったが、
政務は初め関白の九条兼実、ついで
土御門通親(源通親)のみるところであった。

1198年、天皇は為仁親王(土御門天皇)に位を譲り、
上皇として院政を開始・・・時に19歳。
上皇は1202年に通親が没して以後
専制君主として君臨し、
院政は順徳天皇・仲恭天皇の代まで及んだ。

水無瀬や宇治などに華麗な離宮を営み、
熊野参詣も頻繁に行った。
その途次で催された歌会の懐紙が熊野懐紙である。
上皇は文武にわたって多芸多能であった。

『新古今和歌集』の撰定(せんてい)には自ら深く関与し、
琵琶、箏(そう)、笛、蹴鞠、囲碁、双六にも打ち込んだ。
また武芸を好み、北面に加えて西面の武士を置いて、
自ら盗賊追捕の第一線に加わったこともあった。

この間上皇は、思い通りにならない
鎌倉幕府への反感
しだいに募らせていった。
上皇は最勝四天王院を建立したが、
これは幕府を調伏、呪詛するためであった
と伝えられる。

 1219年鎌倉の将軍源実朝が横死すると、
幕府はかねての黙契によって、
後継将軍として上皇の皇子を要請したがこれを拒絶。

一方上皇は西国の一部地頭の廃止を要求したが
幕府は拒否。
かくして上皇は、順徳天皇や近臣たちと謀って、
武力による討幕計画を推進することになった。
これが承久の乱である。

上皇は諸国に幕府執権北条義時の追討令を発した。
しかし上皇方の予想を完全に裏切って、
東国武士で追討令に応じる者はなく、
逆に北条泰時らに率いられた幕府軍が大挙京都に
攻め上り、1か月後に京都は幕府軍に占領された。

上皇は鳥羽殿に幽閉され出家、
隠岐の島へ配流された。
配所の苅田で死去。60歳。
御陵は島根県隠岐郡の海士町陵、
京都市左京区大原来迎院町の大原陵

<順徳天皇>
後鳥羽天皇の第3皇子で第84代天皇
母は藤原範季の娘重子。
順徳天皇は父後鳥羽上皇の意向もあって
鎌倉幕府に対しては終始強気の姿勢で臨んだ。

順徳天皇の治政は、
21条からなる建暦の新制が制定される
などしたが、
平氏追討に続く鎌倉幕府との軋轢があり、
目覚しい政治は行われなかった。

1221年に懐成仁親王に譲位。
同年後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発した
ときは、幕府打倒を図ったが失敗した
これが承久の乱。乱の後、
後鳥羽上皇と共に佐渡に配流された。

にほんブログ村 旅行ブログへ





 

京都・貴船から大原へバスに乗って

2020年11月7日(土)

貴船神社前の宿「ふじや」から貴船口まで
車で送ってもらい、そこからバスで大原へ
京都の奥座敷の横移動


大原は貴船と違って開けている
里山という感じ


まだ緑色の葉が雨に濡れて輝く


山にはまだ霧がたなびいていて
これもまた風流でよい


観光客が少ないので静かなのが一番良い
寂しい気もするが、誰一人いないわけではないので
不安にはならない、ちゃんと観光地であり
来るべき所なのだ

にほんブログ村 旅行ブログへ





 

京都・貴船「ふじや」の朝ごはん

2020年11月7日(土)

貴船「ふじや」で朝を迎えた
普段はあまり朝食をとらないのだけど
1泊2食付きなので素敵な朝食を
いただいた。


京都らしいだし巻き卵や湯豆腐
おなかにやさしい感じ


部屋のまどからの景色

外は今日も雨模様
山には霧がかかっている。

にほんブログ村 旅行ブログへ




 

2020-11-06

京都「貴船神社」本宮のさらに上流の結社(中宮)と奥宮

2020年11月6日(金)

貴船神社には本宮から川沿いを
さかのぼったところに
結社(中宮)とさらに奥の
奥宮がある。奥宮までお参りした

結社にある「天乃磐船」

奥宮で見事ないでたちのカミキリムシ
神様の使いのよう



奥宮は、高龗神(たかおかみのかみ)
船玉神(ふなだまのかみ)としての信仰も篤い
一説には闇龗神(くらおかみのかみ) 
玉依姫命(たまよりひめのみこと)も
祀られていると伝わる

本宮と奥宮をつなぐ道
道沿いには、旅館や飲食店、土産屋が立ち並ぶ



「相生の杉」と言い、一つの株から
2本の杉の大木が伸びている
結社と奥宮の間の道にある


一心同体
夫婦円満の神様


にほんブログ村 旅行ブログへ






 

京都「貴船神社」夜の灯篭階段

2020年11月6日(金)

夜の灯篭が綺麗だということで
お散歩に出た

紅葉のシーズンだけど、
人はほとんどいない


人がたくさんいて混雑するよりは良いけど
いささか寂しい気もするし
貴船神社くらい山に入ると少し怖いくらい


灯篭階段


本宮でお参り




にほんブログ村 旅行ブログへ






 

京都「貴船神社」水の供給を司る神様を祀る絵馬発祥の神社

2020年11月6日(金)

貴船神社に参拝
今日のお宿「ふじや」の目の前
鳥居をくぐると階段があって
登ると貴船神社


貴船神社の創建を明記するものは残っておらず、
創建の年代は不詳
天武天皇白鳳六年(約1300年前)には、
すでに御社殿造替が行われたとの
社伝が存在する。

言い伝えによると
約1600年前に初代神武天皇の皇母である
玉依姫命が

「吾は皇母玉依姫なり。
恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。
また黎民(れいみん)の諸願には
福運を蒙(こうむ)らしむ。よって
吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」

と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、
淀川、鴨川、貴船川を遡り、
水源の地として現在の奥宮に至った。

清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を
見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、
貴船神社の起源と伝えられている。


灯篭階段

「きふね」は古くから気の生ずる根源として
「氣生根」と記され、
御神気に触れることで気が満ちるとされてきた。


高龗神(たかおかみのかみ)
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の
御子神(みこがみ)、

水の供給を司る神


絵馬発祥の神社でもある


桂の木がご神木


大きく立派に伸びた桂
枝ぶりがどこか神々しい



にほんブログ村 旅行ブログへ