2003-06-29

福原義春が語る仕事「文化は仕事の燃料である」(1)

2003年6月29日(日

<こだわりによって狭くなる世界>

人はつい、こうでなければならない
という枠にとらわれる。
懸命にひとつのことにうちこんできたり
成功体験を積んでくるとその想いは一層
つよくなるようです。

それは一見すると正しい信念のように
思えますが、本当にそうでしょうか。
別の見方をすれば、こだわりをもつ人は
他の新しい柔らかいやり方を受け入れない
ということでもある。
すると新鮮な知識や情報という栄養が
入ってこなくなって、結局
立ち枯れていくのです。
花や木と同じように、私たちは
今日の栄養を得るために地下に
根を広げなければならない。
強すぎる自我にとらわれるのは、
草や木の根が切れた状態なのです。

今は亡き作家の司馬遼太郎さんが
小説「坂の上の雲」の中で

「精神主義と規律主義は、
無能者のとって絶好の隠れ蓑である」

と書いていますが、個人のこだわりや形式主義が
考えることを阻み、本質をむしばんでいく
ということでしょう。
気づかぬぬうちに私たちはこの落とし穴に
落ちてしまいます。

物事を判断する物差しが、だた一本だけになり
それ以外の価値観を受け付けなくなります。
人として、仕事人として、これは心して
避けなければなりません。
世の中には自分が知らないことの方が
圧倒的に多いのですから。

例えば仕事の経験の中で非常に成功した
方法論があるとしても、それはその時の
時代の流れや状況で上手くいったのではないかと
冷静に考えてみてください。
今日はまた新たに、人の意見を聞き、
時代の流れに耳を澄まさなければならない。
本質を見据えなければならない。
我執、自我は最も離れがたく手ごわい
そこから自由になれば人間は変わっていきます。



<全身スポンジとなる>

スポンジは濁った、あるいは汚れた水で飽和
しても、ギュッと絞り出せば元のスポンジに
戻ります。学生時代に精一杯学んできたことも
営業のノウハウがぎっしり詰まっていても
まだ何かを吸収する余力を作り出すこと。
年齢に関係なく人に教えを請うことができる
自分になるのです。

知人から聞いたエピソードですが、
ある若い男性が
「それはボウジュンしているよね」
とたびたび口にしていたそうです。
気を付けて聞いていると「矛盾」を
ボウジュンと言っているらしい。
勘違いして記憶する過ちは誰も犯しますが
その間違いを正してくれる上司にも友人にも
巡り合えなかったことは何を意味するか。
おそらく彼は画の強い人間で、聞く耳を
持たないと知られていたのです。

私たちは自分の目で何もかも見えているようでいて
実は自分が正しいと感じることしか頭に入りません。
そこに仕事人としての限界が生じてくる。
変化の判断ができなくなります。
難しいことですが、いつも自分の斜め上あたりから
自分を厳しく見つめる視点を持つしかありません。
自分は何者か、今成そうとしていることでいいのか。
こだわりに囚われて固まっていないか。
日本のビジネスマン達が苦手とすることでは
ありますが、毎日新しい栄養を受け入れられる
人であり続けたい。

●●●福原義春●●●
1931年、東京生まれ
資生堂の創業者、福原有信の孫
1953年慶応義塾大学卒業後、資生堂入社
商品開発、企画、国際などの部門を経て
1987年、第10代社長に就任
経営改革、社内の意識改革に着手する
化粧品事業100年の節目にあたる1997年より会長
2001年より名誉会長を務める
文化や社会への貢献に力を注ぎ
「日仏文化サミット」を始め多くの
文化事業の支援活動に従事
主な著書に
「生きることは学ぶこと」
「部下が付いてくる人」
「会社人間、社会に生きる」
他多数

2023年8月30日