2019-07-06

京都ポルタ「らーめん熊五郎」でラーメンと餃子&天津炒飯のセットで満腹

2019年7月6日

京都から大阪に戻る前に夕飯
京都はラーメン激戦地

地下街の奥まったところにあった
お店にはいった「熊五郎」


とんこつ醤油ラーメンに
天津炒飯&餃子


ちょっと食べすぎた・・・


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京都・法住寺の蓮の花

2019年7月6日

蓮の花が綺麗だった
LOTUS





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京都・第77代後白河天皇法住寺陵

2019年7月6日

後白河天皇の法住寺陵を参拝


三十三間堂のすぐ近くにひっそりと
存在しています



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京都「養源院」は三十三間堂の近くにある浅井長政公の菩提寺

2019年7月6日

三十三間堂の後で近くの養源院
浅井長政公の菩提寺
後に徳川家の菩提所となる

豊臣秀吉の側室 淀殿が父 浅井長政の追善の為、
長政の二十一回忌に建立
長政の院号を以って寺号としたのは1594年
養源院の寺院名は浅井長政公の戒名そのものである

  その後程なくして火災にあい焼失するも、
1621年に淀殿の妹で二代将軍徳川秀忠公正室、
お江により伏見城の遺構を用いて再建される

  以来、徳川家の菩提所となり
歴代将軍の位牌をまつる寺院となる
  現在の本堂(客殿)は再建時のものとなる


本堂(客殿)の廊下の天井は全て血天井。
血天井とは関ケ原の合戦の前哨戦である伏見城
の戦い(1600年)で豊臣方の軍勢に打ち取られ
る直前に伏見城内の廊下で自刃した徳川方の兵
士らをお弔いされるもので、自刃した兵士らの
血で染まった廊下を寺の天井に上げて残されて
いるもの。 その時の徳川方の大将であっ
た鳥居元忠公御自害の痕と伝わるものもお弔い
され残されている 

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京都「蓮華法院 三十三間堂」で圧巻の千躰仏像

2019年7月6日

京都の「三十三間堂(国宝)」を訪問
千躰の仏像が並んでいる圧巻の堂内
最近、国宝の座像の位置を変えたと
テレビで見た。


手前に並ぶ、風神、雷神の位置が逆だったらしい


1155年、平清盛が栄華を誇った時代
第77代天皇として即位した後白河天皇は、
3年で二条天皇に位を譲って以後、
上皇として「院政」を行った。
三十三間堂は、その御所に造営された
80年後に焼失し、
まもなく後嵯峨上皇によって再建された







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