2021-02-11

香港のトレイル・レース 4つのコース298km 60時間以内の超難関!突破率8%に挑むを観て

「香港ウルトラ298km 超難関!突破率8%の壁に挑め!」


大都会香港で行われた超難関レースに密着したNHKの番組を見たので紹介します。

全長298km

累積標高はエベレストをはるかにしのぐ

1万5千m

それを

60時間以内

に走らなければならないレース。

過去111人が挑戦し突破したのはわずか 9人

地元香港のアマチュアが趣味で始めたレースだったがあまりの過酷さが話題を呼び、今や世界の有力ランナーの憧れになったレース。日本からはトップランナー土井陵さんが参加。己の限界と戦い60時間以内にゴールできるのか・・・という内容

そもそも、香港は国土が狭いイメージがあって、298kmのコース設定が気になりました。298kmというと東京から名古屋あたりまでの距離。香港の面積は東京都の半分しかありません。どういうコース設定なんでしょう?番組の冒頭で解説されていましたが、香港が昔政情不安定だった頃があり、当時国土を利用したたくさんのトレイルコースが整備されたのだとか。小さな国土の中にたくさんのコースがあり、トレイルの全長は600kmを超えるそうです。

最初のコースは香港の西から東へ100kmのコースその中には香港最高峰の大帽山(956m)の登山が含まれています。最初のコースを終えるとそこから車で次のコースに進みます。2番目のコースは北から南へ走り、地下鉄で香港島に移動して香港島の南端までのコース約80kmこのコースもアップダウンが激しいです。3番目のコースは香港島の南東端からビクトリアピークまでの約50km登り階段が続きます。ビクトリアピークから車でフェリー乗り場まで移動してフェリーでランタオ島に移動します。そして最後の4番目のコースはランタオ島を一周する約70kmのコース。最後のコースは終盤に900m級の山、500m級の山を続けて登ります。そして最後の山を下りたところにゴールがあります。・・・私なら1か月かけてゆっくり楽しみたいコース。

この大会、驚くことに主催者1人ですべてを運営していること。役員もスタッフもいません。車での移動は選手のサポータが移動時のみに支援を行い、途中の飲食は自由です。出場者の選考も主催者の主観で選ばれます。重要なのは出場する動機だそうです。何度も出場しているランナーもいれば、初出場もいますし男女混合です。

朝9時に33人がスタートして最初の100kmを夕方から夜にかけて走ります。100kmを走るだけで私の場合足が壊れます。いや、50kmで動けなくなると思います。以前フルマラソンと同じ距離を走ってみようとしたら30kmくらいから歩きながら5~6時間かけて42kmちょっと走破?できた記憶があります。一日中走ってこれからまだ夜通し走るんです。そして夜に香港を南北に走るのですが、真夜中に雨の中山道を走ります。ここで多くのランナーが棄権し始めます。途中売店でカップラーメンを食べて暖をとりまた走り出す。一昼夜で2コース180kmの走破。これだけで体はもうボロボロなのに、次のコースは長い長い階段を上る50kmのコース。スタートの翌日の晩にビクトリアピークから香港の夜景を見ることができますがもちろん夜景を楽しんでいる時間も精神的余裕もありません。最後のコースがあるランタオ島に行く船は、午前3時の次は午前7時。過去60時間以内でゴールした9人のうち8人は午前3時のフェリーに間に合っています。そんな条件の中このあたりで諦めるランナーも出ます。

ビクトリアピークに到着した時点で日本人参加者の土井選手は、「痛いところは、腿、膝、腰、背中、肩」と、ほぼ全身が痛みで辛そう。そして少し休むと体が冷えて固まってしまう状態。上位は土井選手の他、ネパール、オーストラリア、香港、韓国、イギリスなどの選手がいました。もうこのあたりからは精神力の世界。

そして、最後ランタオ島一周、終盤に山二つを登山。札幌で言うところの手稲山と藻岩山の両方を登って降りるコースが70kmのコースの最後の15kmに待ち構えます。ほんとにクレイジーです。数名がここまで走ってくるのですが、驚いたのは最後の10kmになると皆さんまた走り出せること。ゴールが見えてくると力もわいてくるのだと思いますが、290km走ってラストスパートってできるものなんですね。

そして、6人が60時間以内でゴール 
トップはずーっと笑顔で走ってきたネパール人の方、最後は顔をしかめゴールで泣き崩れました。2位のオーストラリア人も、そして土井選手もゴールして涙。普段は泣くことがないそうです。それだけ過酷だったんだなということが伝わります。最後に間に合わなかったイギリス人の女性が途中幻覚をみるほどに苦しみながら72時間以内でゴールしました。

皆さん、それぞれの思いや何かを背負って、自分自身に挑戦して貴重な何かを得たようです。主催者の思いは言葉にできないその貴重な何かを知ってもらいたかったのかなと感じました。素晴らしいドキュメンタリー映像を見させていただきました。

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【ことば】与謝野晶子「女らしさ」とは何か

21, February, 2021

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長である、森喜朗会長が女性蔑視発言をしたことで世界中から非難をされました。力のある政治家なのでしょうが、また失言しちゃったな、と思いつつ思い出したのが、与謝野晶子のことばです。なかなか出所が思い出せず、探して探してやっと見つけました。それは・・・

今からちょうど100年前
1921年2月に書かれたもの

 

私なりの解釈は、与謝野晶子曰く

「女らしさっていうけど、優雅でつつましくとか、優しくって人間らしさと意味は同じでしょ、女らしくないことって、冷酷とか生意気、無作法、粗野とか、男だってダメな事じゃない、人間としてダメなことを女らしくないなどと言うのは、男の傲慢である」

<以下「女らしさ」より途中部分抜粋(原文)>
 論者はまた、「女らしさ」とは愛と、優雅と、つつましやかさとを備えていることをいうのである。その反対に「女らしくない」ということは、無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等を意味するのであるといわれるでしょう。しかし愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思います。それは特に女子にのみ期待すべきものでなくて、人間全体に共通して欠くことの出来ない人間性そのものです。それを備えていることは「女らしさ」でもなければ「男らしさ」でもなく「人間らしさ」というべきものであると思います。人間性は男女の性別に由って差異を生ずる性質のものでないのですから、もしこれを失う者があれば「人間らしくない」として、男女にかかわらず批難して宜しい。しかるに従来は男子に対してそれが寛仮かんかされ、女子に対してのみ「女らしくない」という言葉を以て峻厳に批難されて来たのは偏頗へんぱ極まることだと思います。
 我国の男子の中には、まだこの点を反省しない人たちがあって、いわゆる豪傑風を気取った前代の男子の悪習を保存し、自分自身は粗野な言動を慎まないのみならず、その醜さをかえって得意としながら、唯だ女子にばかり、愛と、優雅と、つつましやかさとを要求します。しかし無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等の欠点は、男子においても許しがたい欠点であることを思わねばなりません。これを女にばかり責めるのは、性的玩弄物がんろうぶつとして、炊事器械として、都合の好いように、女子を柔順無気力な位地に退化せしめて置く男子の我儘わがままからであるといわれても仕方がないでしょう。


全文が青空文庫で読めます(無料)↓


この手記を書いた時代は、まだ市町村会議員にすら女性がなることは認められておらず、女性解放運動が行われていました。与謝野晶子は上記文章の前段で、こうも言っています。

同じ教育も受けていないのになぜ、女性が男と同じ職業につくのは無理だと結論付けられるのか、またヨーロッパでは女子が男子と同じ格好をして活発に体育をしている。しかし女らしさを失ったとは言われていない。すなわち「女らしさ」の認識は日本だけのものである。日本の歴史をみても、女帝、女性政治家、女兵、幕末勤皇婦人などがあったが非難されていない。紫式部を女らしくないと評価する者もいない。一方で男子が裁縫師、料理人、洗濯業者になっても男らしくないとは言われないし、女が書く日記を書いた紀貫之も男らしくないと非難されるどころか尊敬を集めている。

 

どういうことなんだ! 

 

と説得力ある論調で書かれています。この時代にこういうことを堂々と論じるのはとても勇気のいることだったろうなと推察します。

12人の子供を産み育て、稼ぎの少ない夫の分まで稼ぎ、海外にいったりと、純情・純粋で天才な与謝野晶子なイメージ。世の女性はそんな天才ばかりではないので、女性からは当時どう思われていたのかなとも思います。嫁(とつ)いで子供を産み育てながら家事で稼(かせ)ぐ夫をサポートするのが当たり前の時代なのでそれが女の幸せだと思う女性も多かったのではないでしょうか。100年たった現代ではど真ん中のストライクかな。国会でだれか読み上げればいいのに。


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