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【business】DX「デジタル化」や「インダストリアルIoT」関連コラムの紹介
14, February, 2022
(再編集)
コラムの執筆させていただいております。
ご興味あるテーマがあれば是非ご覧ください。
●製造業における5S
デジタル化とは直接関係なさそうなテーマだが、さにあらず。製造業における5Sについて解説。5Sはただお掃除して綺麗にするだけのことではなく、5Sの本質とその効果について解説。最新技術で5Sを進めることをお勧めしたい。
https://i-common.jp/column/corporation/5s
●製造業のシミュレーション技術”デジタルツイン”のインパクト
従来から存在するシミュレーション技術と近年盛んに言われている”デジタルツイン”との関係について解説。従来と最近では何か違うのか?
私なりの回答がここにあります。
https://i-common.jp/column/corporation/digital_twin/
●インダストリアルIoT(IIoT)とは何か?
インダストリアルIoT(IIoT)というのは、普通のIoTと何が異なるのか?一般的なIoTに対して、主に製造業ではIoTに何を期待できるのか?
https://i-common.jp/column/corporation/industrial_iot/
●IoT時代に変革が求められるPLM
IoT時代に登場して30年のPLMがなぜ重要なポイントになるのか? PLMについての理解からIoTでのPLMの果たす役割について詳しく解説。
https://i-common.jp/column/corporation/iot_plm/
●コロナ禍からの復活のためのスマートファクトリー実現に向けて
スマートファクトリーという言葉は2010年に生まれたと言われる。10年たった2020年コロナ禍で加速するのか? 加速すべき理由、そして日本の製造業が再び元気になるための起爆剤になるための方法や条件について説明。
https://i-common.jp/column/corporation/smart_factory/
【ことば】Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)・・・管理職の心構え
13, February, 2022
私がマネージャー(管理職)になった時にある本に出合いました。その本に書いてあった忘れられない言葉の一つ "Noblesse Oblige"
<デジタル大辞泉の解説>
身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで
「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。
なぜ、この「ノブレス・オブリージュ」という言葉が私の心に響いたのかというと、当時会社で責任のある立場の方たちの中に無責任な人が多かったからです。
こんなブログも書きました↓
【Business】責任を取らない責任者
https://fivestardx.com/2020/12/14/%e3%80%90business%e3%80%91%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e8%80%85/
私自身当たり前だと思っていることで、おそらく読んでいただいている方も同じく当然のことだと思いますが、「指示に従った部下の仕事の失敗(期待効果が無かったこと)は上司の責任」だと思うのですが、この責任を認めない管理職がたくさんいたのです。
管理職、責任者は高い地位でありそれなりに高い報酬を得ています。
なぜならば、大きな責任を背負う困難な仕事であり、それができると認められた人だけが成り得る仕事であるからだと思います。
高貴な身分というと憧れの的です。人々から羨ましがられる存在であり誰でも成れるものでもない。しかしそれは義務を持つことで得られる地位・名誉でもあり、その義務とは命を懸けて人民を守るということ。
逆に言うと
厳しい義務を背負っているから、普段は優雅な生活ができ、自分の意志で厳しい訓練を行ったり、自分の意志で自分を管理できるのでしょう。
今の時代、軽々しく命を懸けるなどということはないですが、会社でそれなりの立場になったのであれば、仕事の成果のみならず、部下ひとりひとりの人生を背負っているつもりで働かなければならないと思います。それがまたその立場が人を育て、さらに大きくなっていくのではないでしょうか。
【ことば】「三島由紀夫」50年目の青年論より
13, February, 2022
(再編集)
「青年はどんな時代だってバカだ・・・
・・・バカではあるけれど、
あいまいな状態で考えた思考は後になって必ず役に立つ・・・」
NHKスペシャルを見た備忘録
過激な言動、衝撃的な死というマスコミから受けるイメージで、軍国主義の文化人というレッテルを貼られた「三島由紀夫」
読書をあまりしない私は確かにそういうイメージが強い。というか、そのイメージしかない。そんな三島由紀夫が現代の若者が彼に惹かれるらしい。彼の生きた時代や彼のアイデンティティが現代の何かと繋がるのだろうか。
「命売ります」という三島由紀夫の本が5年前から突然売れ始めた。これは異例なこと。私も読んでみたくなり早速オーダーした。
三島由紀夫という人間
若いころから精神と肉体の強烈なコンプレックスを持っていたという。いわゆる病弱な体質ですぐに病に伏せてしまう若いころ。戦中、20歳で召集令状が届き、父母に対して遺書を書いて戦地に赴こうとした矢先に病気で戦地には行かず。
「仮面の告白」という世に出ることがなかった小説がある。自らの経験に基づく性的な葛藤が描かれており、自信が持てない自分、他人との違いに苦しむ三島由紀夫自身ともとれる内容。
「金閣寺」では、主人公が金閣寺を燃やして自らの命も絶とうとするものの、最後は「生きようと私は思った」
三島由紀夫は小説の世界で世に認められ、世界中で訳されノーベル賞候補にまで上り詰める。しかし、受賞したのは川端康成。三島はノーベル文学賞を逃す。そのころから少しづつ変わり始めたという。
高度成長期に「盾の会」を結成し自衛隊に体験入隊を繰り返す。
戦争に行かず、生き残ったものの何も貢献していない自分
青年論へ
そういう生活の中で若者との対話を好んだ。新宿「どん底」という行きつけのバーの元店主がその頃の三島についてそのように語っている。
早稲田大学での講演では、「社会と個人について」の質問に対して答える三島。
最初は社会は敵だった。だから文学の道を選び、文学で社会に認められたと。
東大の学生との対話の中で「若者の情熱を信じる」と語った三島由紀夫
根底まで考える 根底的な対話は必要だとも言っている。
三島由紀夫「青年論」
青年はどんな時代だってバカだ
これは自分のことえを考えて断言できることだが、
せんぜんバカなものなのだよ
ただ、
バカではあるけれど
あいまいな状態で考えた思考は後になって必ず役に立つ
そういう青年は
自分の考えを整理する段階に入れば
だんだんユニークな人間になる
ぼくはね、
青年を信用しないということは、
自分を信用しないということだと思う。
どんな社会でも、
青年は必ずオトナになるんですからね。
そして45歳で生涯を閉じる
その死は今も謎に包まれている。
【ことば】「一隅を照らす」・・中村哲医師が好きだった最澄の言葉
13, February, 2022
(再編集)
「一隅を照らす」について書きます。
これは平安時代に天台宗を開いた最澄の
「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」
という言葉。
“一隅”とは、誰もが気づいていないほんの片隅のこと。または、本当は直視しないといけないのに目をそむけているものという意味もある。
そんな一隅を照らす人、何とかしようと行動する人こそ国の宝であり、人間として最も尊敬されるべきだと最澄は言っている。
この言葉を私が知るきっかけは2つ
(1)比叡山・延暦寺
(2)中村哲医師
比叡山・延暦寺
2020年8月に初めて比叡山を訪れた時、国宝の根本中堂に向かう途中にこの石碑があった。「一隅を照らそう」
どこかで聞いたことがあるなと思いその意味を延暦寺で教った。
最澄が書いた「山家学生式」に中に次の一説がある。
国の宝とは何者ぞ、宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を名けて国宝となす
故に古人の曰く、径寸(けいすん)十枚これ国宝にあらず
一隅を照らす、是すなわち国宝なりと
国の宝は仏を信じる心であって、金銀財宝ではない。
皆が気付かないような社会の片隅を照らす人こそ国の宝なのです
注目されずとも、自分が置かれた場所でベストを尽くすことが大切なのだと説く。自分も心構え次第で何か社会に役立つことができそうな気がする。
中村哲医師
2019年12月4日、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師(享年73)。アフガニスタンとパキスタンで市民とともに人道・復興支援に尽くした中村さんが、好んで使ったのが「一隅を照らす」という言葉だった。中村哲医師とはどのような方だったのか・・・
1973年 九州大学医学部卒業後、佐賀県、福岡県の病院に勤める。
1984年 パキスタン北西部ペシャワルの病院に赴任。
ハンセン病患者の診療に当たる。
非政府組織「ペシャワール会」も発足。
1991年 アフガニスタン山間部の無医地区の苦境を知り、国境の峠を越えて診療所を開設。パキスタンと合わせて11カ所で診療所を運営。
2000年 アフガニスタンで大干ばつが発生。
農地の砂漠化が進み飢えと渇きの犠牲者が多く
「もはや病の治療どころではない」。
井戸掘りを始める。2006年までに井戸は1600カ所となった。
2003年 地下水の枯渇に直面。
地下水に頼るかんがいの限界を知り、用水路の建設を始めた。
2010年 「マルワリード」と名付けられた用水路が完成。
砂漠だった場所が緑に生まれ変わった。
住民の求めに応じて各地で取水口などの整備を続ける
2019年 アフガニスタン政府から名誉市民権を授与される。
用水路で潤った土地は約16500ヘクタール
「誰もがそこへ行かぬから、我々がゆく。
誰もしないから、我々がする」
まさに「一隅を照らす」ことを身をもって強力に実践して示した医師が中村哲さん。私も小さいことでもいいから、今いる場所・立場でできることを考え行動して生きていきたい。