2019-05-12

堺・百舌鳥古墳群ウォーキング 17.7km 帰宅して鉄火巻と果物

12, May, 2019

堺東駅をスタートして
大仙古墳(仁徳天皇陵)、大仙公園
履中天皇陵や二サンザイ古墳を回り
なかもづ駅が終点

17.71km
結構歩きました




帰宅して晩御飯 美味しそうな
鉄火巻

果物が食べたくなって
盛り合わせを買ってしまいました


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堺・ニサンザイ古墳

12, May, 2019

ニサンザイ古墳
堺の古墳巡りでたくさんの古墳を
みてきました。

ずっと良い天気で気持ちよかった

ニサンザイは陵(みささぎ)が語源
と考えられ、
前方部が大きく広がったその姿は
古墳群の中で最も精美といわれ、
百舌鳥古墳群の中で最も新しい、
5世紀後半に造られたとされる古墳


百舌鳥古墳群の南東端にある
前方部を西に向けた大型前方後円墳

墳丘の規模は
全長約300m、後円部径約170m、
高さ約24.6m、前方部幅約224m、
高さ約25.9m

3段に築かれた墳丘は
くびれ部の両側には造出しがあり、
主体部の構造や副葬品は不明ですが、
葺石と埴輪のあることが確認されています。
現在は一重の盾形周濠がめぐっていますが、
昭和51年(1976年)に周囲の発掘調査で
外濠のあることがわかりました。

前方部が広くどっしりと安定感のある古墳で、
反正天皇陵古墳(田出井山古墳)の
ほぼ4倍の大きさです。
また建造時期もほぼ同じことから、
これを反正天皇陵と考えている説もあります。
墳丘は宮内庁が反正天皇の空墓として、
陵墓参考地に指定し管理しています。


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堺・百舌鳥八幡宮 境内の大きな楠(くすのき)がすごい

12, May, 2019

欽明天皇(532~571年)のころに
建てられたと伝えられ、
うっそうとした境内と重厚な
たたずまいが歴史の古さを感じさせます。



毎年旧暦8月15日の中秋の名月にかけて、
勇壮なふとん太鼓を繰り出す
「月見祭」は、
農作の祈願と満月を祝う
風習とが合わさって
神社の祭りになったものといわれ、
記録によると300年以上の伝統があります。
太鼓を仕込んだ台の上に、
朱色の座布団を5段重ねにした
造りのふとん太鼓は、
高さ約4m、重さ約3tもあり
約70人で担ぎ
「ベーラベーラベラショッショイ」
というかけ声と太鼓の音で、
まちを練り歩いた後神社に奉納されます。


本殿右前にある大くすは

幹囲り5.2m、樹高25mで
樹齢は700年とも800年とも

いわれている名古木で、
府の天然記念物に指定されています。




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堺・いたすけ古墳・善右ヱ門山古墳・御廟山古墳

12, May, 2019

<いたすけ古墳>

百舌鳥古墳群のほぼ中央にある
前方部を西に向けた前方後円墳
5世紀前半に造られたとされ、
全長約146m、後円部径約90m、
高さ約12.2m、前方部幅約99m、
高さ約11.4mで3段に築成

南部のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪があり後円部からは
衝角付冑の埴輪が出土しています。
台地の南端に位置しているため、
濠の南側には大規模な堤が築かれています。

この古墳は昭和30年(1955年)頃に
住宅造成のため破壊されそうになりましたが、
市民運動によって保存されました。
当時、後円部から出土した冑の埴輪は
堺市の文化財保護の
シンボルマークになっています。



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<善右ヱ門山古墳>
百舌鳥川北岸に位置する方墳で、
いたすけ古墳の外堤と接するように
築造されていることから、
同古墳に付随する古墳と考えられます。
 過去のの調査では、
墳丘は2段築成であることを
確認しましたが、墳丘の周囲には
明確な周濠を設けていません。


また、テラス上に埴輪列を検出しましたが、
その埴輪から5世紀前半の築造であると考えられます。


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<御廟山古墳>

百舌鳥本町にあります。
前方部を西に向けた前方後円墳。
発掘調査により、
規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、
前方部最大幅約136mと復元されました。


墳丘は3段に築かれていて、
南側のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪がありますが、
埋葬の主体部の構造や副葬品などは
わかっていません。


周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、
最近の調査で二重の濠があることがわかっています。
墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しています。



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堺・(第17代)履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳) 第3位の大きさ

 12, May, 2019

3番目の大きさの前方後円墳
第17代履中天皇陵

5世紀中葉の天皇。
記紀では第17代に数えられる。
ただし『日本書紀』には在位6年で
稚桜宮(わかさくらのみや)に崩ずと記す。
去来穂別(いざほわけ)
(伊邪本和気)天皇(命(みこと))
ともいう。
仁徳(にんとく)天皇の皇子で、
母は磐之媛(いわのひめ)とする。
『宋書(そうじょ)』にみえる倭王讃(わおうさん)を
履中天皇とみなす説がある。
墓は百舌鳥(もず)耳原陵と伝える。
現在履中天皇陵とみなされている古墳
(堺(さかい)市石津ヶ丘町)は、
全長365メートルの前方後円墳である。



どこか神秘的
ずーっと人の出入りがないからでしょうか



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堺・大仙公園内、堺といえば「千利休」 

12, May, 2019

堺といえばこの男
千利休
銅像がありましhた



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