2019-05-12

堺・いたすけ古墳・善右ヱ門山古墳・御廟山古墳

12, May, 2019

<いたすけ古墳>

百舌鳥古墳群のほぼ中央にある
前方部を西に向けた前方後円墳
5世紀前半に造られたとされ、
全長約146m、後円部径約90m、
高さ約12.2m、前方部幅約99m、
高さ約11.4mで3段に築成

南部のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪があり後円部からは
衝角付冑の埴輪が出土しています。
台地の南端に位置しているため、
濠の南側には大規模な堤が築かれています。

この古墳は昭和30年(1955年)頃に
住宅造成のため破壊されそうになりましたが、
市民運動によって保存されました。
当時、後円部から出土した冑の埴輪は
堺市の文化財保護の
シンボルマークになっています。



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<善右ヱ門山古墳>
百舌鳥川北岸に位置する方墳で、
いたすけ古墳の外堤と接するように
築造されていることから、
同古墳に付随する古墳と考えられます。
 過去のの調査では、
墳丘は2段築成であることを
確認しましたが、墳丘の周囲には
明確な周濠を設けていません。


また、テラス上に埴輪列を検出しましたが、
その埴輪から5世紀前半の築造であると考えられます。


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<御廟山古墳>

百舌鳥本町にあります。
前方部を西に向けた前方後円墳。
発掘調査により、
規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、
前方部最大幅約136mと復元されました。


墳丘は3段に築かれていて、
南側のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪がありますが、
埋葬の主体部の構造や副葬品などは
わかっていません。


周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、
最近の調査で二重の濠があることがわかっています。
墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しています。



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堺・(第17代)履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳) 第3位の大きさ

 12, May, 2019

3番目の大きさの前方後円墳
第17代履中天皇陵

5世紀中葉の天皇。
記紀では第17代に数えられる。
ただし『日本書紀』には在位6年で
稚桜宮(わかさくらのみや)に崩ずと記す。
去来穂別(いざほわけ)
(伊邪本和気)天皇(命(みこと))
ともいう。
仁徳(にんとく)天皇の皇子で、
母は磐之媛(いわのひめ)とする。
『宋書(そうじょ)』にみえる倭王讃(わおうさん)を
履中天皇とみなす説がある。
墓は百舌鳥(もず)耳原陵と伝える。
現在履中天皇陵とみなされている古墳
(堺(さかい)市石津ヶ丘町)は、
全長365メートルの前方後円墳である。



どこか神秘的
ずーっと人の出入りがないからでしょうか



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堺・大仙公園内、堺といえば「千利休」 

12, May, 2019

堺といえばこの男
千利休
銅像がありましhた



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堺・大仙公園にある「竜佐山古墳」と「七観音古墳」

12, May, 2019

仁徳天皇陵の南側にある公園
大仙公園

その敷地内にも古墳があります

<竜佐山(たつさやま)古墳>

西向きの前方後円墳で全長は61m、
後円部径43m、前方部幅26mの
前方部が短い帆立貝形をしています。
一部の調査では葺石と円筒埴輪があり、
幅10m程の周濠がめぐっていたようですが、
埋葬施設などについては不明です。
現在は前方部と濠を復元して整備され、
後円部は宮内庁が管理しています。


<七観音古墳>

履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の北側、
大仙公園の南入口にあります。
鉢巻状の壁で保存されていますが、
原形とは少し違うようです。
堺市の調査で直径25m、高さ3m程の円墳
であることがわかっています。


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堺・(第16代)仁徳天皇陵古墳(大仙古墳) 世界遺産になる直前に訪問

12, May, 2019

仁徳天皇陵
今は大仙古墳と呼ぶそうです

小学校6年生?で習って以来
名前は憶えているけど
初めて実物を見に来ることができました
世界最大の墓陵の一つ



入口あたりで説明員のボランティアをしている方が
明日、世界遺産になるかもしれないんです・・・
と言っていたのを小耳に挟みました

翌日本当に世界遺産になってびっくり!!

 

大きすぎて全貌がわかりません
堀が長く続いている景色のみ

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堺・永山古墳・茶山古墳・大安寺山古墳 ・・・仁徳天皇陵の北側

12, May, 2019

仁徳天皇陵の北側にある3つの
古墳を紹介します。

<永山古墳>

仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の
北西約50mにある前方部を南に向けた
前方後円墳で、
墳丘の規模は全長約100m、
後円部径約63m、高さ10.3m、
前方部幅約68.5m、高さ10.3mで
西部のくびれ部には造出しが認められます。
墳丘は2段によって築かれていて、
葺石と埴輪があり周囲には盾型の
周濠がめぐっています。


調査されていないので主体部の構造は不明で、
副葬品の内容や性格もわかりません。
墳丘は宮内庁に仁徳天皇陵の陪塚として
管理されています。現在、周濠の南側に接して
大阪中央環状線が通り周濠の一部をまたいでいます。




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<茶山古墳>

仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後円部外側の
第2堤上から、三重濠に張り出すようにある
2基の古墳のなかの西側にある、
径56m、高さ9.3mの円墳です。
茶山の呼称は、「堺鑑」に豊臣秀吉が
仁徳天皇陵古墳で狩りをした時に、
陵の上で仮の居宅を構えたあとを、
茶屋山と呼んだという記事があることに由来します。


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<大安寺山古墳>

仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から
三重濠に張り出す径62m、高さ9.7mの円墳。
古墳名は古くは大安寺の所有地だったことに由来し、
別名「寺山」と呼ばれていたようです。
形状は確認しにくいですが、日本でも大きな円墳


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