2019-07-06

京都「養源院」は三十三間堂の近くにある浅井長政公の菩提寺

2019年7月6日

三十三間堂の後で近くの養源院
浅井長政公の菩提寺
後に徳川家の菩提所となる

豊臣秀吉の側室 淀殿が父 浅井長政の追善の為、
長政の二十一回忌に建立
長政の院号を以って寺号としたのは1594年
養源院の寺院名は浅井長政公の戒名そのものである

  その後程なくして火災にあい焼失するも、
1621年に淀殿の妹で二代将軍徳川秀忠公正室、
お江により伏見城の遺構を用いて再建される

  以来、徳川家の菩提所となり
歴代将軍の位牌をまつる寺院となる
  現在の本堂(客殿)は再建時のものとなる


本堂(客殿)の廊下の天井は全て血天井。
血天井とは関ケ原の合戦の前哨戦である伏見城
の戦い(1600年)で豊臣方の軍勢に打ち取られ
る直前に伏見城内の廊下で自刃した徳川方の兵
士らをお弔いされるもので、自刃した兵士らの
血で染まった廊下を寺の天井に上げて残されて
いるもの。 その時の徳川方の大将であっ
た鳥居元忠公御自害の痕と伝わるものもお弔い
され残されている 

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