2019年11月10日
「金戒光明寺」に来た
紅葉が楽しみな寺院
まずは高麗門から入場
大きな山門が現れる
大きくて立派な山門
十五歳で比叡山に登られた法然上人が
承安5年(1175年)四十三歳の時
山頂の石の上でお念仏をされました。
その時、
紫雲全山にみなぎり
光明があたりを照らしたことから
この地に草庵をむすばれました。。
柱も大きくて立派
山門を入り階段を上ったところから
振り返って山門を眺める。
2019年11月10日
崇徳院(すうとくいん)地蔵
それが訛って、
ひとくい(人喰い)地蔵になったらしい。
それがここ、積善院にある。
聖護院門跡の門跡代行をすることも
あった積善院。鎌倉時代創建
崇徳院とは、1156年に起きた保元の乱で
讃岐に流された崇徳上皇
世を怨むあまり生きながらにして
魔界の住人となり、死んだ後に
京の都に悪疫・大火・大乱を起こす
魔王となった。
そのような災厄をもたらす
崇徳院の霊を慰めるために、
京の町の人々が地蔵を作って、
聖護院の森の中に祀ったという。
2019年11月10日
聖護院門跡
門跡というのは天皇またゆかりのある
皇室の方が住まわれた寺社のこと
由緒あるお寺なのだ。
立派なお庭
チェックの模様になっている
偉い人が座る上座がまさに
門跡を物語る仕様
襖絵も豪華に描かれている
庭も立派
菅野美穂さんが来て雑誌に載ったみたい
部屋やふすまがとても立派で
長く見入ってしまった。
山伏の総本山だそうです。
2019年11月10日
聖護院といえば、八ッ橋
聖護院八ッ橋
ここに本店あり。
こちらは、八ッ橋発祥の家
西尾八ッ橋 熊野店
見えるところに両社あり
なんか法廷で争っているんだっけ?
2019年11月10日
京阪電車の神宮丸太町駅から
聖護院に向かって歩く途中にある
熊野神社
811年に修験道の始祖が、紀州熊野大神を
勧請したのに始まる神社
1090年に白河上皇の勅願により
創立された聖護院は、
熊野神社を守護神として祟められ
別当職を置いて管理した。
平安末期、後白河法皇は度々熊野詣を
行われたが熊野神社にも厚く尊信をよせられた。
ヤタガラスがシンボル
主祭神のお仕えが八咫烏(やたがらす)
であることが由来
サッカー協会のシンボルでもあるので
サッカーお守りがある。