16, November, 2020
人のために自分が犠牲になることを美徳とする日本人
司馬遼太郎さん曰く、鎌倉武士の「名こそ惜しけれ」の精神に始まるとされる日本人の倫理観。明治の人はお国のためという公の心を持っていたといいます。
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野球でも犠牲バント、犠牲フライが大好き、ラグビーも自分が犠牲になってボールを繋いてチームメイトのトライを作る。もちろん、私もそういうスポーツや日本人的な精神は大好きです。一方、人のために自分を犠牲にして喜びとしている人もいますが、それは本当に良いことなのでしょうか?
例えば、自分の娘が私のために時間を費やして何かをしてくれたら嬉しい思いもあるけれど、私のために貴重な時間を犠牲にしてほしくないと思います。
母親が自分の食事を我慢して私にお腹いっぱい食べさせてくれたら嬉しいとは思いません。母親こそいつまでも元気でいてほしいからです。
誰かのために犠牲になることは自己満足であり、本当に誰かのためになっているのか? ということです。犠牲になるよりも、幸せになって幸せを分けるほうがみんなのためではないかと思います。
幸せは分けても分けても減りません。
だから、私はとにかく自分が幸せでいよう、もっと幸せになろうと思っています。もちろん他人を犠牲にしてでも・・とは思っていません。人に迷惑かけない範囲で一生懸命幸せになることが親孝行でもあり、その幸せを家族や仲間に分けることができると考えています。
悲しみの連鎖より、喜びの連鎖、幸せの連鎖を増やしていきたいのです。
みんなで幸せになりましょう!!