2022年9月17日(土)
三ッ沢に比較的大きなお寺がある
1515年、三河国八名郡多米(ため)(愛知県豊橋市多米町)
の一族である多米元興が、父元益の追善供養のため、
建立した本顕寺という寺を、ここ三ッ沢に移設。
法照山豊顕寺と名を改めた。
多米氏は北条氏とつながりが深く、
1590年豊臣秀吉の小田原城攻めで、
多米氏の多くは後北条氏と共に歴史から消えた。
豊臣秀吉の没後、徳川家の下で江戸時代に繁栄する。
1720年に檀林(だんりん・僧の学問所)を設置。
いわゆる三沢檀林(みつざわだんりん)
最盛期には学舎5棟、学寮25棟、
学徒は300人を越えたと言う。
かつては、5万2,000坪に及んだ境内には
八重桜が見事で、
「喧嘩するなら豊顕寺の花見まで待て」
と言われていたとされる。
境内を山の方に向かうと市民の森が残っていて
自然が多く残っている。
そのまま登っていくと
三ッ沢公園に繋がる