中之島香雪美術館の初来館
仕事の打ち合わせの時間まで一時間
あったので、入ってみた
中国の漆器は素晴らしかった
特に貝細工は繊細で色合いが
最後にある茶室「玄庵」もすばらしい
香雪美術館の「香雪」は所蔵品の多くを
収集した村山龍平の号。
村山龍平は嘉永3年(1850)三重県生
28歳で朝日新聞を創刊
美術にも深い関心を寄せ、
岡倉天心らの主宰する美術雑誌
「國華」の経営も引き受けた。
開国後、多くの価値ある美術品が
海外へと流出し始めると、
それを食い止めたいという思いから
美術品の収集に力を注いだ。
没後、昭和47年(1972)財団法人香雪美術館を設立
翌48年(1973)11月、神戸・御影に香雪美術館が開館
中国の漆器は古くから日本へもたらされ
時代を超えて大切に伝えられてきた
中国の漆器には日本の伝統的な漆器ではみられない
多彩な技法が用いられている
中でも漆を何度も塗り重ねて厚みを出し
文様を掘彫り表す「彫漆」の技法を用いた漆器は
珍奇な品として非常に重宝された
正倉院の宝物類からも明らかなように中国の漆器は
奈良時代からの船載例が知られる
平安時代後期から室町時代には、
禅宗寺院において什器や贈答品として用いられ
次第に武家に広まります
江戸時代には茶の湯の世界で多く使われる
ようになります。
日本で中国の漆器が受容されていく中で
近世にはその品が中国製かどうかを判定する
鑑定の需要が高まったと見え、鑑定書が付いた
作品も散見される