2019年10月13日(土)
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、
讃岐に流され悲嘆の日々を送っていたが、
血書をもって都への還幸を願ったが、
聞き入れられず、46歳で崩御された。
上皇の寵愛を受けた阿波内侍は
上皇の遺髪を請い受け、
この地に一塚を築き、
亡き上皇の霊をお慰めしたと伝えられている。
この頃、京では異変が相次ぎ、
崇徳上皇の祟りと恐れられたため、
御影堂や粟田宮を建て慰霊したが、
今では廃絶し、
この地のみが上皇を偲ぶ御廟となっている。
<保元の乱>
鳥羽法皇が崩御した際に後白河天皇と
主導権を巡り対立、
武家を巻き込んで戦闘へと発展した。