Quenbow Key
賢望記 Since 1969
2019-09-28
京都「北野天満宮」へお参り
2019年9月28日
京都に来た
今日は北野天満宮から
学問の神様菅原道真を祀る総本山
バスに乗ってみた。
たまたま北野天満宮に行く
バスが通りかかったので乗ったまで
京都はバスを使いこなせると便利
私は歩く派
ゆっくりいろいろ見て歩くのが好き
装飾がとても綺麗だった
裏手に文子(あやこ)天満宮なる
お社がある
石で作られた牛
天満宮のシンボル
敷地内に小川が流れる
京都は水が豊か
どこにいっても綺麗な水が流れる
京都「二条城」の夕焼け 歩き過ぎてへとへとな夕方
2019年9月28日
紫野あたりから二条城まで歩いてきた
いや、北野天満宮から金閣寺、
今宮神社、大徳寺
そのあたりからずーっと歩いてきた
もうへとへとである
二条城に入って見学なんてするちからはもう残っておらず
また次の機会とした
二条城のお濠あたりの夕焼けがとても綺麗だった
これは最後に癒される
京都「晴明神社」は陰陽師の安倍晴明を祀る
2019年9月28日
映画にもなった「陰陽師」
有名な安倍晴明を祀る神社
晴明神社
星のマークが目印
なぜか、厄除けの桃
星のマーク付き
安倍晴明の像もある
京都・紫野「紫式部の墓所」京都市内にひっそりと
2019年9月28日
思わぬところに紫式部の墓所があった
観光地にも観光コースにもほとんんど
なっていないような場所
堀川北大路の交差点近く
隣は島津製作所の紫野工場
京都(第102代)後花園天皇の火葬塚
2019年9月28日
室町時代の天皇、後花園天皇の火葬塚
1419年-1471年 室町時代、第102代天皇
在位は、1428年-1464年
伏見宮貞成(さだふさ)親王と後崇光院の第1王子。
母は源幸子(こうし)(敷政門院)。
後小松上皇の猶子となり、
称光天皇の病死で皇位をつぐ。
8代将軍足利義政の時代で
寛正(かんしょう)の大飢饉(ききん)などがあった
在位37年で皇子の後土御門(ごつちみかど)天皇に
譲位し院政をしく
上皇時代には応仁(おうにん)の乱がおきた
京都「大徳寺」大仙院入口の松の木や枯山水の庭
2019年9月28日
大徳寺には同じ敷地内にたくさんの
塔頭が並ぶ
その中のひとつ、中を公開している
大仙院を拝観した
入口の松の木の枝ぶりがユニークである
いつ頃からここにあるのだろうか
どのようにしてこうなったのか
不思議
大仙院は室町時代に創建された500年
以上も歴史のあるお寺
枯山水の庭が有名
また、ここの僧侶もちょっとした有名人
「いまでしょ」と言ったのはここだとか
釣鐘の形をした窓は玄関を意味している
本来はここから入るらしい
しばし、静かに庭を眺める
京都・今宮神社参道「かざりや」のあぶり餅
2019年9月28日
見るからに美味しそうなあぶり餅
小さくちぎられたお餅が串刺さって
炙られて白みそのタレがかかっている
小さいけどたくさんあるのでお得に
感じてしまう。これで500円
かざりやさんの向いは一和(一文字屋)さん
今宮神社の門のすぐ前の道にある
京都「今宮神社」 "玉の輿"のゆかりの神社
2019年9月28日
金閣寺から今宮神社に歩いて来た
玉の輿の玉とは、三代将軍徳川家光に見初められ、
京都の西陣の身分の低い八百屋の娘として
産まれたお玉が、当時、格も高く
由緒もあった西陣の大店である本庄家に養女と
出され、江戸まで輿に乗って嫁いだことから、
玉の輿という諺が生まれたとされる。
そのお玉ゆかりの神社がここ今宮神社
京都・千本北大路 (第70代)後冷泉天皇火葬塚
2019年9月28日
後冷泉天皇の火葬塚があった
陵(みささぎ)は竜安寺内にある
後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)
1025年8月28日- 1068年5月22日
日本の第70代天皇(在位:1045年2月5日- 1068年5月22日)
後朱雀天皇の第一皇子。
母は藤原道長の女の藤原嬉子(贈皇太后)。
紫式部の娘大弐三位が乳母である。
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