10, February 2022
花園天皇 十楽院上陵
青蓮院の隣に入口があり
アプローチを登っていきます
1308年大覚寺統の先帝後
二条天皇が急死したため12歳で即位。
在位の前半は父の伏見上皇が、
後半は兄の後伏見上皇が院政を布いた。
1318年大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)に譲位
譲位後は、皇太子となった甥の
量仁親王(光厳天皇)の養育にあたったが、
その一環として1330年に記した『誡太子書』は、
やがて訪れるであろう動乱の時代に備えて
勉学の必要性があることを説いた書として名高い。
禅宗の信仰に傾倒し、1335年、円観について出家、
法名を遍行と称した。
宗峰妙超と関山慧玄を師とし、
1342年には仁和寺の花園御所を寺に改めて
妙心寺を開基している。
1348年花園萩原殿で崩御。宝算52。