2013年5月6日
松山市内にある
秋山兄弟の生誕の地に
行きました
真っすぐではない道を
通って地図を見ながら
目指します
生誕の家にたどり着きました
学芸員の方が熱心に説明をしてくれました
印象的だったのは
司馬遷先生は日露戦争が終わるまでを
書いたけど、その後がすばらしかった
戦争あとの秋山兄弟を
書いてほしかった・・・
だそうです
これからの戦争は
飛行機と潜水艦になる
だから諸君は
飛行機と潜水艦の研究をされたい
それから
アメリカと事を構えると
日本は苦境に追い込まれる
遺言として書かれています
秋山好古は東京での名誉職を捨てて
故郷、松山で校長先生をしたそうです
地元の方に愛されるわけですね
秋山兄弟の産湯の井戸
ダイダイの花が咲いていました
秋山好古が好きだったそうです