13, April, 2019
百万篇知恩寺
浄土宗の宗祖法然は約八百数十年前、
百萬遍知恩寺の前身であり、
賀茂の禅坊と当時呼ばれていた
賀茂の神宮寺に住んでいた。
そして人々に「念仏のみ教え」を説いた
建暦二年(1212年)正月25日に
法然上人は入滅
直弟子である勢観房源智上人が
直弟子である勢観房源智上人が
師の恩に報いるためには
「恩」を「知」らなければならない
と知恩寺と名付けた。
元弘元年(1331年)第八世善阿空圓上人の時、
地震がもとで都に疾病が蔓延した。
心を痛めた後醍醐天皇の勅命を受けて
弟子らと共に七日七夜にわたって
百万遍の念仏を称えながら
大念珠繰りをしたところ
疫病が治まったことから
「百萬遍」の号が下賜された。
その後幾度かの移転を経て、
江戸時代の寛文二年(1662年)
第三十九世中興の光譽萬霊上人によって
現在の地に再興した。
伽藍の中心的存在である現在の御影堂は
第39世光譽萬霊上人によって
寛文二年(1662年)に建てられたものを
第48世震譽知巖上人が宝暦六年(1756年)に
一回り大きくして総欅造りに改めたもの。