2020-11-22
大阪・梅田「中崎町」から天神橋筋商店街へ
大阪・梅田「中津」「中崎町」あたりを散策
「大阪とんてき天神橋筋店」でチーズ・トンバーグ(大)
梅田に用があって、そのあとランチをどこで食べようかと中崎町あたりを歩いていたのですが、良いお店が見つからず、そのまま「天五中崎通商店街」経由で「天神橋筋商店街」そして天満駅周辺のディープなエリアを散策しました。安くておいしそうなお店もたくさんあったのですが、決めたのはここ。
「大阪とんてき」天神橋筋店
とんてきではなく、ハンバーグが食べたかったのでチーズトンバーグをライス小でオーダーしました。サイズは大!!
キャベツもたっぷりで添えてあるマカロニサラダも良い感じ。そしてハンバーグに箸を入れると、肉汁がじゅわーっと出てきます。ハンバーグはビーフじゃなくてもいいんじゃないでしょうか。そのくらい美味しく食べ応えのあるハンバーグでした。
2020-11-21
奈良「唐招提寺」の金堂に国宝が並び、紅葉も見頃です 千手観音立像は見事!
2020年11月21日
京都はGotoキャンペーンで観光客が多いので、奈良に来ました。決して奈良を侮っているわけではなく、紅葉の名所は京都に集中しているので奈良にしたのと、奈良も奈良公園は鹿と一緒に紅葉の写真を撮ろうと皆思うのではないかと予測し、それをずらして「唐招提寺」にしました。去年行ったときは薬師寺の後で夕方になってしまい時間もなく、じっくり見ることができなかったのも今回来たかった理由です。前回時間がない中でもとても感動したのが「千手観音菩薩像」です。今回は晴天で紅葉も綺麗な中、ゆっくり見ることができました!
この写真の金堂の中に国宝の像が勢ぞろいしています。
国宝 金堂
南大門で拝観料1000円を払って入場するとその正面に見えるのが金堂です。8世紀後半(創建時)の姿を残す建築物です。堂内は、中央に本尊・盧舎那仏坐像(国宝)、右に薬師如来立像(国宝)、左に千手観音立像(国宝)が並んで天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。
国宝 廬舎那仏(るしゃなぶつ)坐像
高さは3メートルを超え、光背の高さは5.15mにもおよぶ巨像です。奈良時代に盛んに用いられた脱活乾漆造でその造形は雄大さとやわらかさを併せ持ち、唐代の仏像に通じる唐招提寺のご本尊にふさわしい仏像です。また、背後の光背の化仏の数は、862体ありますが、本来は1000体であったといわれています。前回訪れた時は千手観音に見とれてあまり覚えていませんでしたが、今回は心行くまで見入ってしましました。
国宝 薬師如来立像
盧舎那仏坐像の向かって右側に安置されています。昭和47年の修理の際に左手掌から3枚の古銭が見つかり、その年代からも平安初期の完成であることが明らかになっています。伏目がちな表情などから全体的に重厚な印象。
国宝 千手観音立像
盧舎那仏坐像の向かって左側に安置される高さ5.36mの立像です。この千手観音を見るために来たといっても過言ではありません。本当に千本の手を持つ千手観音像は少ないと聞きます。数少ない千手観音様なのです。実際は大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕があるのですが、本来は1000本あったと考えられています。
このほか、持国天、増長天、広目天、多聞天、梵天、帝釈天、6つの立像が国宝として安置されています。なんて贅沢なお寺なんでしょう。
唐招提寺について
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年に修行の道場を開きました。それは「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでしたが、金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。現在、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える貴重な伽藍となっています。
国宝 講堂
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像(重要文化財)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。
境内の北東の奥まった静かな場所に鑑真和上の墓所があります。
入口から墓所に向かうアプローチは高い杉の木と色づいた紅葉が混ざり、太陽の光がやさしく降り注ぐとても神秘的な空間になっています。その先、墓所の横には池がありひっそりとした中に鳥のさえずりや草花がやさしく墓所を見守っているようでした。
鑑真和上は唐の揚州に生まれ、14歳で出家、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷に戻り、江南第一の大師と称されました。742年に遣唐使からの招請を受け渡日を決意したものの12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失いながらも、753年6回目にして遂に日本に上陸します。以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。
奈良・金魚の町にある「大和郡山城」
21, November, 2020
大和郡山市には、筒井順慶や豊臣秀長ゆかりの社寺をはじめ、縄文から弥生時代にかけての遺跡、大和朝廷が成立したとされる4世紀頃の古墳、平城京の一部であった羅城門遺跡など数々の遺跡が残されています。
近鉄の大和郡山駅から歩いて数分、途中郡山高校の野球グランドで練習試合を観戦しつつ、坂を登りながらお濠が見えてきました。立派な石垣です。
筒井順慶の時代
周辺の村々の地侍を次々と支配下に置いて大和を統一したのが筒井順慶です。順慶は織田信長を後ろ盾として天正四年(1576年)に大和支配を成し遂げ、天正八年(1580年)に郡山に入城しました。もともと市場が形成されていた郡山にさらなる繁栄をもたらしました。
筒井順慶は天正十年(1582年)に本能寺の変が起こり、明智光秀に出兵を促されますが日和見を決め込みます。これを「洞ヶ峠をきめこむ」といい、旗色の良い方につくという悪い意味での言葉として残ってしまいました。
豊臣秀長の時代
秀吉の弟である豊臣秀長は、筒井家の後、天正十三年(1585年)郡山城に入城しました。秀長は、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有しています。
秀長の入城後、郡山は政治的、経済的に大きな意義をもつようになります。城郭を構築して新しい自治制度を始めました。そして奈良での商売を一切禁止し、近隣の町からも商人・職人を呼び寄せるなどして商業を郡山へ集積させました。様々な大事業を成し遂げたものの、秀長は51歳で死去しました。在任期間は6年余りという短い期間でした。
柳沢家の時代
豊臣秀長の没後は、水野勝成や松平忠明、本多正勝など領主が目まぐるしく変わります。そして江戸時代に活躍したのは柳沢吉里です。吉里は、宝永六年(1709年)甲斐守として甲斐城主となり、その後将軍吉宗の命を受け、大和、近江、河内、伊勢の四カ国を領します。そして享保九年(1724)、郡山に入城し郡山城主柳沢家初代となりました。
吉里は、郡山で養蚕を奨励して経済を振興させたと共に、趣味で飼っていた金魚も運んで、この地での金魚養殖が始められるようになりました。そして現在、大和郡山の金魚養殖は日本で最大の産地として発展を遂げました。
様々な分野にわたり長じた才覚を示した柳沢吉里は、郡山を大和の国における経済・文化の中心地へと導き、柳沢家は明治維新までの147年間、六代にわたって郡山藩政を担いました。その文化と地場産業の礎は現代に受け継がれ、市民生活のなかに脈々と息づいています。
石垣にはいろいろなところから集められた石材が使われており、石仏がさかさまに組み込まれていることから「さかさ地蔵」と呼ばれているそうです。天守閣があったのかは明確ではありませんっでしたが、近年石の基礎が発見されたようです。奈良盆地の真ん中あたりなのでしょうか。周囲を見渡せる立地でとても景色が良かったです。
城内の一角に神社があります。
祀られているのは、「川越・甲府城主柳沢美濃守吉保公」と書かれていました。歴史を知らないとどこの誰?ここはどこ?となりそうです。
江戸時代に甲府から来たお殿様が、趣味で持ってきた金魚。それが大和郡山日本一の名産になるなんて、ちょっとしたロマンです。
大阪・江之子島日記 日本シリーズ2020第1戦「京セラドーム」SB 5-1 G ・・・ジョギングで京セラD
21, November, 2020
日本シリーズが始まりました。
さすがソフトバンク、王者の試合運びでした。千賀投手がジャイアンツ打線を抑えて、栗原選手が先制ツーランとタイムリーで4打点 5-1でソフトバンク・ホークスの勝利で日本シリーズ記録の9連勝だそうです。
時を戻します・・試合前
さて、日本シリーズが始まります。先発は千賀投手と菅野投手・・・すごいな。打線も柳田やデスパイネとか岡本や丸、坂本がいる強打者揃いの両チーム。周東の俊足も見てみたい。直前になって急にワクワクしてきた野球好きおじさん。普段応援することのない千賀投手を応援しちゃおうかなといった感じで私は日本シリーズに入りました。両チームともお金持ち球団、ベイスターズ、マリーンズ、ファイターズが好きな私はいつも悔しい思いをしています。でも楽しそうだし見ちゃおう、ホークス応援しちゃおう。
さらに・・・
東京のチームと福岡のチームの日本シリーズなのにどういうことか、大阪の京セラドームで開催じゃないですか! なんとなく聞いていたものの、ベイスターズのことばかり考えていたのであまり興味なく、昨日の夜気が付いてチケット取れるのかと思ったら取れるわけもなく、おうちでテレビ観戦しました。終わったあと、いてもたってもいられず、ジョギングしてきましたよ。京セラドームまで・・・
とっくに人はいませんでした。数名の団体がまだ球場のゲートの近くで談笑していましたが、日本シリーズの試合後の雰囲気はもう何もなかったかのようになくなってひっそり。そりゃそうです、コロナ禍の23時大騒ぎしてはいけません。
江之子島からの距離は3キロくらいです。
久しぶりのジョギングでしたが、思ったより快調に走ることができました。やっぱりお肉食べると違うんですかね。
ということで、明日も楽しみな日本シリーズです。
テレビでゆっくり見るとします。
大阪・鶴橋「鶴々亭」で焼肉を食らう
焼肉な気分。
たまには美味しいお肉を食べて元気出そう。
ということで、やってきました鶴橋。
江之子島と奈良を繋ぐ乗り換え駅の鶴橋。
近鉄電車を降りで階段を降りたらそこはもう焼肉ワールド。
行ったことがないお店に入ろうと思い、
選んだのは「肉の鶴々亭」。
メインの通りから少しずれたところにある
いい雰囲気の店構え。
店員の方がすぐ席に案内してくれた。
まずはビールを注文してメニューをチェック。
お得なセットメニューにしようか、
単品で攻めようか迷った末、
頼んだのは、
バラ、やわらかカルビ、ハラミ
の3種類を1人前ずつ。
来てみたら思ったよりも量が多くて、
2種類で良かったかなと反省。
ジャンル:炭火焼肉&しゃぶしゃぶ
アクセス:JR大阪環状線鶴橋駅 徒歩1分
住所:〒543-0025 大阪府大阪市天王寺区下味原町2-20(地図)
ネット予約:焼肉・しゃぶしゃぶ 肉の鶴々亭のコース一覧
周辺のお店:ぐるなび 鶴橋×焼肉
情報掲載日:2021年3月7日
奈良・(第11代)垂仁(すいにん)天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東陵)
21, November, 2020
奈良から大和西大寺経由で尼ヶ辻で下車。
そこから歩いて数分で到着します。とてものどかで奈良らしい素晴らしい立地です。
「垂仁天皇陵」
垂仁天皇
垂仁天皇は日本の第11代天皇。『日本書紀』での名は活目入彦五十狭茅天皇。治世には様々な起源伝承が語られ実在性は定かではありません。
奈良・近鉄奈良駅前の「天理スタミナラーメン」で食べたのは・・・味噌味
21, November, 2020
天スタでお馴染みの「天理スタミナラーメン」
奈良に行ったときに近鉄奈良駅近くの商店街入口にあるお店が気になっていました。数か月前に友人と天理の「彩華」に行ったので、次は「天スタ」に行ってみたいと思っていて今回実現しました。
近鉄奈良駅に到着したのが11時半前。真っ先にお店に向かいましたが店内を見ると満席で・・・誤算です
少し周囲を散歩しながら考えました。今回は諦めて違うものを食べようか、それとも待ってみようか。でも12時前だからますます混みそうだし、決まらないままもう一度お店の前まで行くと、さらに学生が並んでいるではありませんか。
今日はダメか・・・と思いつつ店内を見たら、なんと空席だらけ。さっき埋まっていたカウンターのお客さんがいなくなっていました。ということで安心して入店!
選んだのは「味噌スタミナラーメン」
初めてなのにちょっと邪道。私は味噌がどうしても気になるのです。とくに寒くなると味噌を選ぶ傾向があります。
そして待つこと数分で写真のラーメンが目の前に到着。テーブルの生ニンニクを少々入れていただきました。豆板醤は隣の人がむせていたのでかなり辛いとみて遠慮。入れなくてもスープに辛みがあるので十分でした。私の場合は入れなくて正解です。麺も普通のようで独特なスープが絡む感じ。スープは野菜の旨味が感じられコクがあります。美味しかった~
<天スタのうまさの秘密>
天スタのサイトから少しお勉強させていただきました。
<こだわりの素材たち> 長時間丹精込めて煮込んだ豚骨スープに、野菜の旨みが溶け込んだオリジナルスープ。そして麺は卵入りの自家製麺で甘みがあり食感がもっちりしていてスープに絡んで合います。
そして天スタ独自の作り方をします。「炒める」作り方は他のラーメン店では聞きません。これによりスープにほのかな香ばしさが加わり、具や麺などの素材全てが持つ味を引き立たせます。
濃厚で味わい深い旨味の秘密はこういうところにあったのですね。
次回は味噌ではないオリジナルのスタミナラーメンをいただいてみようと思います。
ジャンル:ラーメン
アクセス:JR桜井線天理駅 徒歩11分
住所:〒632-0015 奈良県天理市三島町581-3(地図)
周辺のお店のネット予約:
・298円バル VOXのコース一覧
・KICHIRI 近鉄奈良駅前店のコース一覧
・銀座四川 学園前駅ビル店のコース一覧
周辺のお店:ぐるなび 天理×ラーメン
情報掲載日:2021年3月7日