2020-11-08

京都・大原「寂光院」平家物語ゆかりのお寺でしば漬発祥の地

2020年11月8日(日)

聖徳太子が推古2年に建立された古刹。
『平家物語』 大原御幸でも名高い。
新緑と紅葉のころの石段参道も美しい。
大原の名産「しば漬」の発祥の地でもある。


平清盛の息女である建礼門院は、
高倉天皇の中宮であり
安徳天皇の母にあたる。
1185年9月に入寺し真如覚比丘尼と称した。


源平の合戦に敗れた後、
寂光院に侍女たちとともに閑居し
壇ノ浦で滅亡した平家一門と、
我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、
終生を過ごした。


苔の緑がとても綺麗
良い天気になって緑がまぶしい


紅葉も青空に映える


雨上がりで朝露なのか雨露なのか
花びらに水滴は美しい


庭の池で泳ぐ錦鯉


ぽつんとたたずむお地蔵様
建礼門院の寂しさを伝えるようで
心が痛む



水が綺麗なので落ち葉も水の中で美しい






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京都「観智院」と洛南高校の気になる体育館の音

2020年11月8日(日)

東寺のすぐ北にある
東寺の塔頭「観智院」


国宝の客殿、上段の間には、
宮本武蔵筆の「鷲の図」と
「竹林の図」が描かれている。


宮本武蔵は剣豪のイメージが強いが
説明によると、伊藤若冲よりも格上の
画家だったとか・・・



すぐ隣に洛南高校がある。
体育館からバスケの練習の音が・・・
洛南高校と言えば全国でも指折りの
強豪校・・こっちも気になる。



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京都「東寺」五重塔や西院御影堂など

2020年11月8日(日)

京都駅から東寺に移動
駅から近い、駅1つか2つ


東寺も紅葉が綺麗で夜はライトアップされる。
ここの講堂の中心の安置されている他大日如来坐像は
私が一番好きなお顔をしている。

全てを許してくれそうな優しいお顔


金堂には薬師如来立像
左右に月光菩薩、日光菩薩を従えている。


落ち葉も綺麗な東寺の紅葉


ライトアップする照明の上にも
落ち葉が積もっていた。


いつも新幹線から良く見える
五重塔






国宝の西院御影堂
司馬遼太郎が手記を残している。
京都観光(散策)はいつも
ここがスタートなのだとか。




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京都駅・伊勢丹3階「カントリーハウス英国屋」で和栗と抹茶ワッフル

2020年11月8日(日)

京都駅に戻って来た。
貴船と大原という京都なんだけど
ちょっと奥の方に行くと
京都駅すら懐かしく思える。

そこでスイーツ休憩
栗と抹茶のワッフル


栗が美味しい
白玉にアイスもついていて幸せだ

京都駅と一体の伊勢丹
10階くらいまでこの外から
エスカレータか階段で
登ることができる。
面白い設計


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2020-11-07

京都・大原「実光院」庭に咲く10月桜と紅葉が雨の雫で美しい

7, November, 2020

三千院を拝観する前に、「実光院」を訪れました。
大原にある実光院は、寂源上人が建立した天台宗魚山大原寺勝林院の子院です。その庭園は心字池を中心にした池泉観賞式の「契心園」と、散策することができる池泉廻遊式の「旧理覚院庭園」がとあります。

その庭園には、約120種の山野草が四季折々に花を咲かせます。特に十月中頃より咲き始め、翌年四月まで咲く不断桜(ふだんざくら)は必見です。十一月には紅葉と桜、冬になって雪が降れば、雪と桜が同時に楽しむことができます。

客殿の西側に広がる回遊式庭園(上写真)は旧理覚院の寺池で、実光院と統合後荒廃していたところ、以後の歴代住職が作庭整備して今日に至っています。庭園の中央に植えられた不断桜は、初秋から翌年春にかけて花を咲かせる珍しい品種です。錦秋の季節には、桜の花と紅葉が同時に楽しむことができます。

不断桜(ふだんざくら)です。背景に紅葉があり、雨のしずくに濡れる可憐な桜の写真が撮れました。

二方向が庭に面しています。とても贅沢な間客殿だなぁ~
天気の良いポカポカした日は一日中いても飽きないかも。

客殿の南側に広がる庭園(下写真)は、律川より水を引く心字の池を中心とした旧普賢院以来現存する池泉鑑賞式の「契心園」で江戸時代後期の作庭です。築山の松は鶴を、池の島は亀を表現しており、四季折々の表情を見せる自然の景色を、客殿から眺めることができます。

黄色の実ってめずらしくないですか? 
赤や紫はよく見るのですが・・・とっても綺麗な色


京都・大原「勝林院」色づく銀杏 声明と大原問答

7, November, 2020

大原の北にある天台宗のお寺、勝林院

835年に開かれたと伝えられています。
日本音楽の源である天台声明(しょうみょう)発祥の寺でもあります。

本堂は1013年に寂源により、法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。別名『問答寺』とも『証拠堂』とも阿弥陀堂とも呼ばれています。
寂源により建立された本堂は数多の火災、洪水により破損し、修復再建されてきました。江戸時代初期、徳川家光の代に春日局の願によりお江の方、崇源院の菩提のために再建されたという縁起が高欄の擬宝珠(ぎぼし)に刻まれていますが、1736年正月の火災により焼失してしまいます。
現在のお堂は1778年、徳川家治の頃に再建され、縁起が刻まれた擬宝珠もこの時のものです。屋根は椹板(さわらいた)で葺いた「柿葺き(こけらぶき)」、柱、梁など軸組、床板などすべてが欅造り(けやきづくり)となっています。

大原問答

1186年に法然が浄土念仏に関する法論をなして説法の証を示しました。本堂ではボタンを押すと声明(しょうみょう)が流れるようになっており、自由に聞くことができます。

大原問答とは法然上人がここで浄土の宗義について交わされた論議のことです。顕真法印が主催となり法然上人を中心として、天台証真、高野山明遍、笠置寺貞慶、東大寺重源などが集まり一昼夜にわたり法然上人に12の難問が投げかけられました。この時、数多くの聴衆も集ったと伝えられています。

問答では、
「どうすれば迷いの境地より脱して悟りの境地に入ることができるか。」
の問いに対して法然上人は
「成仏はむつかしいけれど、往生は易しい。仏の願力を強縁としてにより有知無知を論ぜず、持戒破戒を選ばず、迷いのままに往生できる。」
と答えられました。

また
「念仏を称えて往生をとぐべきことは理解できてもこの心が静まらないのは如何すれば。」の問いに対して
「煩悩は起これども本願力で往生を得る。人間ありのままのすがたで救わるる道が称名念仏である。」と答えられました。

法然上人は凡夫往生の道、つまり機根比べは学問上の問題ではなく、
「現に今、自身はどうなのか、そしてどうするのか。この事実の前にはいかなる理論も通じず、一歩を譲らなければならない。」
と説かれた。

法然上人が念仏によって極楽へ往生できることをはっきりと示したその時、本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を放って、その主張が正しいことを証明されたのでした。どんな人でも極楽浄土へ生まれ変われると知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けたと伝えられています。

本堂からみた紅葉がとても綺麗でした。