2019年11月10日
三条にある瑞泉寺
豊臣秀吉の甥、豊臣秀次公の
菩提を弔うために建立された寺
秀次は、秀吉の養子となり、関白の位を継いだ。
しかし、秀吉に嫡男秀頼が生まれてからは、
次第に疎んぜられ、1595年高野山において
自害させられた。
次いで秀次の幼児、妻、妾たち39人が
当寺の近くの三条河原で死刑に処せられた。
遺骸はその場に埋葬され、塚が築かれ
石塔が建てられていた。
1611年高瀬川の開削中にこの墓石を発掘し、
当地に移し塚を再建して堂宇を建立したのが
瑞泉寺の起り。
秀次の法号である瑞泉寺殿をとって
瑞泉寺と名付けられた。
本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置し、
秀次及び妻、妾らの辞世の和歌を蔵する。
また、妻、妾たちの墓
及び犠牲者49人の五輪塔がある。