2020-11-26

淡路島でのお仕事の思い出(LANケーブル)

2020年11月26日

現場でLANケーブルと戯れた
そんなお仕事の思い出写真





 

2020-11-25

大阪・本町でバンズが卵のハンバーガー「Don’t Worry Egg’ Wich」

2020年11月25日

ランチで新しくできたお店に行ってみた。
「エッグウィッチ」とは、ハンバーガーのバンズを
卵で代用したアメリカ生まれの新しいバーガー。
見た目はハンバーガーだけど、
バンズ部分を卵にする
ことでたんぱく質を豊富に摂取できる・・・

糖質抑制している私にぴったりのお食事。
アメリカでも注目を集めているヘルシーフード。
できたばかりのお店でダブルバーガーを
一つお持ち帰りした。


Don’t Worry Egg’ Wichのエッグウィッチは、
オリジナルレシピのエッグバンズで、
ふわとろ食感で程よい甘さ。
また100%牛肉のパティでシャキシャキの
新鮮なレタスと程よい酸味が効いた
トマトを挟むことによって
栄養バランスも計算されたメニュー。

エッグウィッチ1つで糖質はわずか9.7g、
たんぱく質は23.6g、カロリー228kcal。


Don’t Worry Egg’ Wichの名前の由来は、
もちろん「心配ないよ!安心してね!」
健康面の観点からハンバーガーを食べるのは
罪悪感があるが、エッグウィッチであれば
ダイエットや糖質制限をしている私でも
安心していただくことができる。




大阪・江之子島日記 「花梨のはちみつ漬け」をつくってみた

2020年11月25日

花梨らしき果実を蜂蜜につけてみました。

・・花梨だよね、これ。
2,3日部屋に置いておいたんだけど
とっても良い香りを放っていて
調べたらどうやら花梨、たぶん花梨。


容器を100円ショップで買い、
スーパーで蜂蜜買ってきた。
そしてネットで作り方を調べた。
花梨をスライスして乾かし、
種が一番薬効があるらしいので種も使用。
煮沸消毒した容器に入れて蜂蜜に浸す。
実は乾かしたけど乾く前に使用、
熱湯で消毒しようとしたら、
ピキっ!とガラスにヒビが入ってしまった。
・・・先行き不安。


そんなこんなで完成してあとは熟成! 
今日から2~3週間。
12月2週目あたりに
花梨のはちみつ漬けが完成予定。

この花梨、どうやって入手したのかというと、
奈良に行ったときに、何やら果実が
実っている木を見つけた。
鳥居が中にあって柵で囲まれた
侵入できないエリアの中に根を張る木だった。

外から手を伸ばすと実に手が届きそうだった。
ちなみに実っているのはエリアの外で
私も外の歩道にいる。
手を添えて写真を撮ろうと思って
少し触れたら、ぽろっ

実が簡単に取れて手の中にしゅぽっ
と収まったのです。
あら、どうしよう。地面を見たら
落ちている実がたくさんあった。

元に戻せないので置いて帰るのはもったいない
と思い、持ち帰って来た次第

人ん家ではないし公道を歩いていたら
上から落ちてきたようなもの・・・
罰が当たるのか、神様のお恵みなのか・・・
神のみぞ知る



2020-11-24

大阪・本町「魚菜料理二代目みつい」牡蠣フライ

November, 24, 2020
鯖が終わってしまったということで、牡蠣フライ定食をいただきました。牡蠣フライ5つも嬉しいし、小皿が2つ付くだけで豪華なランチになります。ご飯は少な目でちょうどよい量です。

個室 魚菜料理 ふぐ 二代目 みつい
個室 魚菜料理 ふぐ 二代目 みつい
ジャンル:新鮮な海の幸 日本酒
アクセス:地下鉄四つ橋線本町駅 徒歩3分
住所:〒550-0011 大阪府大阪市西区阿波座1-11-19 新興ビル1F(地図
ネット予約:個室 魚菜料理 ふぐ 二代目 みついのコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 本町・堺筋本町×郷土料理
情報掲載日:2021年3月12日
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2020-11-22

大阪・梅田「中崎町」から天神橋筋商店街へ

2020年11月22日

梅田から中津を散策して東に進路を取ると
天神橋筋5丁目のアーケード


ここをまっすぐ通っていくと
長い長い天神橋筋商店街にぶつかる


このあたりは人通りが少ない
でも、面白そうなお店がたくさん
立ち並ぶ。


天満の駅周辺はとても賑やか


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大阪・梅田「中津」「中崎町」あたりを散策

2020年11月22日

梅田を散策
中津あたりまで範囲を広げて路地を行く


ガードしたを超えて梅田から少し北へ


アートな壁面、上手でオシャレ




路地にもオシャレなお店がたくさん
人気のエリアだ


ちょっとした旅行気分で路地を
行ったり来たり楽しんだ


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「大阪とんてき天神橋筋店」でチーズ・トンバーグ(大)

22, November, 2020

梅田に用があって、そのあとランチをどこで食べようかと中崎町あたりを歩いていたのですが、良いお店が見つからず、そのまま「天五中崎通商店街」経由で「天神橋筋商店街」そして天満駅周辺のディープなエリアを散策しました。安くておいしそうなお店もたくさんあったのですが、決めたのはここ。

「大阪とんてき」天神橋筋店

とんてきではなく、ハンバーグが食べたかったのでチーズトンバーグをライス小でオーダーしました。サイズは大!!
キャベツもたっぷりで添えてあるマカロニサラダも良い感じ。そしてハンバーグに箸を入れると、肉汁がじゅわーっと出てきます。ハンバーグはビーフじゃなくてもいいんじゃないでしょうか。そのくらい美味しく食べ応えのあるハンバーグでした。



2020-11-21

奈良「唐招提寺」の金堂に国宝が並び、紅葉も見頃です 千手観音立像は見事!

2020年11月21日

京都はGotoキャンペーンで観光客が多いので、奈良に来ました。決して奈良を侮っているわけではなく、紅葉の名所は京都に集中しているので奈良にしたのと、奈良も奈良公園は鹿と一緒に紅葉の写真を撮ろうと皆思うのではないかと予測し、それをずらして「唐招提寺」にしました。去年行ったときは薬師寺の後で夕方になってしまい時間もなく、じっくり見ることができなかったのも今回来たかった理由です。前回時間がない中でもとても感動したのが「千手観音菩薩像」です。今回は晴天で紅葉も綺麗な中、ゆっくり見ることができました!

この写真の金堂の中に国宝の像が勢ぞろいしています。


国宝 金堂

南大門で拝観料1000円を払って入場するとその正面に見えるのが金堂です。8世紀後半(創建時)の姿を残す建築物です。堂内は、中央に本尊・盧舎那仏坐像(国宝)、右に薬師如来立像(国宝)、左に千手観音立像(国宝)が並んで天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。

国宝 廬舎那仏(るしゃなぶつ)坐像

高さは3メートルを超え、光背の高さは5.15mにもおよぶ巨像です。奈良時代に盛んに用いられた脱活乾漆造でその造形は雄大さとやわらかさを併せ持ち、唐代の仏像に通じる唐招提寺のご本尊にふさわしい仏像です。また、背後の光背の化仏の数は、862体ありますが、本来は1000体であったといわれています。前回訪れた時は千手観音に見とれてあまり覚えていませんでしたが、今回は心行くまで見入ってしましました。

国宝 薬師如来立像

盧舎那仏坐像の向かって右側に安置されています。昭和47年の修理の際に左手掌から3枚の古銭が見つかり、その年代からも平安初期の完成であることが明らかになっています。伏目がちな表情などから全体的に重厚な印象。

国宝 千手観音立像

盧舎那仏坐像の向かって左側に安置される高さ5.36mの立像です。この千手観音を見るために来たといっても過言ではありません。本当に千本の手を持つ千手観音像は少ないと聞きます。数少ない千手観音様なのです。実際は大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕があるのですが、本来は1000本あったと考えられています。

このほか、持国天、増長天、広目天、多聞天、梵天、帝釈天、6つの立像が国宝として安置されています。なんて贅沢なお寺なんでしょう。

唐招提寺について

唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。

多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年に修行の道場を開きました。それは「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでしたが、金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。現在、奈良時代建立の金堂講堂が天平の息吹を伝える貴重な伽藍となっています。

国宝 講堂

平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像(重要文化財)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。



境内の北東の奥まった静かな場所に鑑真和上の墓所があります。
入口から墓所に向かうアプローチは高い杉の木と色づいた紅葉が混ざり、太陽の光がやさしく降り注ぐとても神秘的な空間になっています。その先、墓所の横には池がありひっそりとした中に鳥のさえずりや草花がやさしく墓所を見守っているようでした。

鑑真和上は唐の揚州に生まれ、14歳で出家、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷に戻り、江南第一の大師と称されました。742年に遣唐使からの招請を受け渡日を決意したものの12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失いながらも、753年6回目にして遂に日本に上陸します。以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。

奈良・金魚の町にある「大和郡山城」

21, November, 2020

大和郡山市には、筒井順慶豊臣秀長ゆかりの社寺をはじめ、縄文から弥生時代にかけての遺跡、大和朝廷が成立したとされる4世紀頃の古墳、平城京の一部であった羅城門遺跡など数々の遺跡が残されています。

近鉄の大和郡山駅から歩いて数分、途中郡山高校の野球グランドで練習試合を観戦しつつ、坂を登りながらお濠が見えてきました。立派な石垣です。


筒井順慶の時代

周辺の村々の地侍を次々と支配下に置いて大和を統一したのが筒井順慶です。順慶は織田信長を後ろ盾として天正四年(1576年)に大和支配を成し遂げ、天正八年(1580年)に郡山に入城しました。もともと市場が形成されていた郡山にさらなる繁栄をもたらしました。

筒井順慶は天正十年(1582年)に本能寺の変が起こり、明智光秀に出兵を促されますが日和見を決め込みます。これを「洞ヶ峠をきめこむ」といい、旗色の良い方につくという悪い意味での言葉として残ってしまいました。


豊臣秀長の時代

秀吉の弟である豊臣秀長は、筒井家の後、天正十三年(1585年)郡山城に入城しました。秀長は、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有しています。

秀長の入城後、郡山は政治的、経済的に大きな意義をもつようになります。城郭を構築して新しい自治制度を始めました。そして奈良での商売を一切禁止し、近隣の町からも商人・職人を呼び寄せるなどして商業を郡山へ集積させました。様々な大事業を成し遂げたものの、秀長は51歳で死去しました。在任期間は6年余りという短い期間でした。

柳沢家の時代

豊臣秀長の没後は、水野勝成や松平忠明、本多正勝など領主が目まぐるしく変わります。そして江戸時代に活躍したのは柳沢吉里です。吉里は、宝永六年(1709年)甲斐守として甲斐城主となり、その後将軍吉宗の命を受け、大和、近江、河内、伊勢の四カ国を領します。そして享保九年(1724)、郡山に入城し郡山城主柳沢家初代となりました。

吉里は、郡山で養蚕を奨励して経済を振興させたと共に、趣味で飼っていた金魚も運んで、この地での金魚養殖が始められるようになりました。そして現在、大和郡山の金魚養殖は日本で最大の産地として発展を遂げました。

様々な分野にわたり長じた才覚を示した柳沢吉里は、郡山を大和の国における経済・文化の中心地へと導き、柳沢家は明治維新までの147年間、六代にわたって郡山藩政を担いました。その文化と地場産業の礎は現代に受け継がれ、市民生活のなかに脈々と息づいています。

石垣にはいろいろなところから集められた石材が使われており、石仏がさかさまに組み込まれていることから「さかさ地蔵」と呼ばれているそうです。天守閣があったのかは明確ではありませんっでしたが、近年石の基礎が発見されたようです。奈良盆地の真ん中あたりなのでしょうか。周囲を見渡せる立地でとても景色が良かったです。

  

城内の一角に神社があります。
祀られているのは、「川越・甲府城主柳沢美濃守吉保公」と書かれていました。歴史を知らないとどこの誰?ここはどこ?となりそうです。

江戸時代に甲府から来たお殿様が、趣味で持ってきた金魚。それが大和郡山日本一の名産になるなんて、ちょっとしたロマンです。